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【石じじいの話】大分の山中を歩いていると、急に川岸に人が住んでいるところに行きあたった。住居はほとんどなく、衣類もみずぼらしい…



 

624: 本当にあった怖い名無し@ \(^o^)/ 2016/08/23(火) 22:02:07.51 ID:oZiaqWPL0
石じじいの話です。 

じじいは、昔、山の中で天皇の末裔と出会ったそうです。 
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##この話を理解するための基礎知識## 
かつて、日本の山中には、定住することのない人々のグループの一つとして、 
「サンカ」というものがあったということです。山中に居住し、定住せず、山野の 
動植物を食し、魚や竹細工を売って(修理して)村人と交流をもち生活していたと。 
彼らには特別な掟があって、また独自の文字や互助組織があったといいます。 
しかし、これらの話は、昭和期の三文小説家である三角寛によるでっち上げという 
ことが、現在では明らかになっています。とはいえ、なんらかの移動集団が存在 
したことはどうも確からしいです。 
この話は、それを彷彿とさせるものです。 
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じじいは、長距離遠征と称して県外に出歩くことがありましたが、その時は、大分 
の山中を歩いたそうです。愛媛県の南西部からは、連絡船が別府、大分に出ており、 
それを使って磨崖仏を見てみよう(石だからw)と出かけたのです。 

山を歩いていたところ、急に川岸に人が住んでいるところに行きあたったそうです。 
じじいは、正直いって怖かったそうです。山中で知らない人と会うのは、ある意味 
怖いと。しかも相手が大勢だと、もし紛争になっても勝てない。それは10人ほどの 
集団で、老若男女がいました。住居は、ほとんど無いに等しく、樹木の枝などを 
細い丸太に並べて覆いとしたようなもので、着物も、とてもみすぼらしいもの 
だったそうです。彼らは、川で魚などをとって食料とし、村人と、ある程度交易を 
していたようでした。生活には、茶碗などを使っていたそうです。(しかし、 
これは、よく尋ねると、「村人の墓から勝手に持ってきたのだ」ということらしか 
ったと)そこでは、竹を作ってカゴや手箕を作っていたました(サンカみたいです)。 
彼らは、ずいぶんと友好的で、じじいが、ほんのすこし水筒に持っていた酒 
(水とは別に用意していたのです)を彼らにやると、彼らは非常に喜んで、 
いろいろと話をしてくれたそうです。 
(つづく) 

625: 本当にあった怖い名無し@ \(^o^)/ 2016/08/23(火) 22:05:03.24 ID:oZiaqWPL0
>>624 
(つづき) 
その彼らが語った話の一つが、天皇伝説。彼らが言うには、自分たちは安徳天皇の 
血筋であり!!実際に、安徳天皇の墓(陵墓)がある!と。じじいは、またコレか、 
と思って辟易しましたが、彼らは、じじいをその墓に連れて行ってくれたそうです。 
山をずいぶん登って行くと、広い山の尾根にでて、そこには小さな丘がありました。 
彼らが言うには、これが安徳天皇の墓であり、そこを発掘することは無論、それを 
整備することも、草木一本、手をつけることも禁忌だと。そのため、そこは、荒れ 
放題で、上には何本かの大木が生えていたそうです。かなり侵食が進んでいて、 
崩れていましたが、丘の頂上には、玉垣の跡と思われるものがあり、人工物だと思 
ったそうです。安徳天皇は、壇ノ浦で神璽と宝剣とともに入水して果てた、という 
のが歴史の言うところですが、彼らによると、彼は、その後、生き延びて大分の地 
に落ちのびたそうです。そこで、地元の女を娶り安徳天皇の皇系が残ったと。 
じじいは、山をおりて、その山系の麓にある神社を訪れて、その件について宮司に 
尋ねましたが、彼は少々戸惑った顔をして、じじいにこっそりと教えてくれたそう 
です。「確かに、そのような陵墓がある。ある程度地位のある人のものだろう。 
そこを神聖視している移動民もいる。じっさいに村人と彼らとは交渉がある。この 
神社にも昔の日記が残っていて、それに『みささき』という古い場所がある、 
という記述がある、と。その日記も見せてくれたそうですが、達筆すぎてじじいに 
は読めなかったそうです(じじいは、国語の素養はまったくなかったのですw)。 

「がいなことよ。よう、言わい。怖いのう。むかしやったら、そがいなこと言い 
よったら、警察に捕まりよったんで。九州には、いなげなものがあらい。」 

そのような主張は、皇位僭称者のそれですから、見つかれば戦前は罰せられたはず 
ですが、ど田舎だったので官憲に見つからなかったのか、あるいは、阿呆の言って 
いる戯言として無視されたのか? 

626: 本当にあった怖い名無し@ \(^o^)/ 2016/08/24(水) 02:05:08.56 ID:ALICrCD90
>>624 
被差別(で良いかな?)民を語る場合、皇統僭称は避けられない。 
これは彼らの権益(木材の切り出し、狩猟など)を主張するためだったらしい。 
有名なのは小椋氏 

627: 本当にあった怖い名無し@ \(^o^)/ 2016/08/24(水) 09:46:12.62 ID:qxKg5J8D0
南北朝時代の南朝の末裔じゃなくって安徳天皇かよ。 

628: 本当にあった怖い名無し@ \(^o^)/ 2016/08/24(水) 12:39:31.38 ID:DP12PRG90
平家の隠れ里をモチーフにしたのかな? 
九州の熊本にそういった集落あったし